コンテンツ
KU-MAについて
入会案内
リンク
会員向け

KU-MAの
おすすめ


超巨大ブラックホールに迫る
「はるか」が作った3万kmの瞳


自然の謎と
科学のロマン(上)

Newton編集長の実験と工作動くもの浮くものの不思議

Newton編集長の実験と工作─光や電気の不思議─


小惑星探査機「はやぶさ2」の大挑戦 太陽系と生命の起源を探る壮大なミッション


新しい宇宙のひみつQ&A


宇宙人に会いたい!: 天文学者が探る地球外生命のなぞ


宇宙の始まりはどこまで見えたか? 137億年、宇宙の旅

他にもおすすめがあります

YMコラム
月日「また会おうね、奇跡の一本松」

 9月12日、陸前高田の「奇跡の一本松」(図1、図2)が保存処理のために切り倒されました。この松の根元の部分は、松食い虫などの害虫が穴を開けていて、芯のほうまで腐っていることが分かったからです。この後防腐処理を施してから、来年2月ごろまでに元の場所に戻されて、モニュメントとして保存されます。樹齢270年、高さ27 m。7 万本の松が立ち並んでいた高田松原で、あの大津波で仲間の松はことごとくやられ、この1本だけ残り、被災地の復興のシンボルとして親しまれてきました。


(図1)東日本大震災から1年半を迎え、朝日に浮かび上がる奇跡の一本松のシルエット(11日午前5時37分)


(図2)11日午前5時40分、岩手県陸前高田市

 ここまで枯れてしまったのでは、ひとまずは仕方なかったのでしょうね。切り倒し作業の前の日には、別れを惜しむ人々が殺到する中(図3)、準備作業が行われました(図4)。11日の夜は土砂降りだったのに、12日になると素晴らしく晴れて、12日は、やはり一時の別れを惜しむ人たちが大勢訪れている中で、一本松を切り倒す作業が行われました。午前8時半からの神事(図5、図6)。この作業前のセレモニーで、保存費用を寄付してくれた人たちの手紙が読み上げられました──「たった一本生き残った一本松には心を打たれました。わずかの樹冠を扇のように広げ、独り踏み耐えて立つ孤高の美しさには、涙がこぼれました」。


(図3)12日に伐採される奇跡の一本松の最後の姿を見ようと多くの人が訪れた(11日)


(図4)伐採の準備を進める工事関係者ら(11日午後)


(図5)保存のための切り倒しを前の神事


(図6)伐採を前に安全を祈願する神事(午前8時33分)

 そして高さ30mの高所作業車に乗った作業員が一本松に接近し、まず枝を大切に切り落としていきました(図7、図8)。次いで午後1時45分すぎ、チェーンソーで幹の部分を地上から30cmの高さで切りとり、クレーンを使ってゆっくりと横倒しにしました(図9)。その後、幹の部分は、防腐処理などを行う工場に運びやすいように、のこぎりで3つに分割されました。


(図7)切り倒す作業が12日朝、始まった(午前9時53分)


(図8)多くの人が見守る中、一本松の伐採作業が始まった(12日午前9時53分)


(図9)切り倒された一本松

 テレビで観ていると、松が切られる瞬間、あの「はやぶさ」の本体が大気圏に突入してバラバラに壊れていくシーンが連想され、ジーンときました。

 幹の部分が愛知県の工場に向けて運び出されるのは13日で、ここで芯をくり抜いてから、京都市の工場で防腐処理が施され、内部には強化樹脂の棒が通され、再びつなぎ合わされて、来年2月末までに元の場所に戻されるという次第です。

 私の持っている新聞の切り抜きに、「高田松原を守る会」の鈴木善久会長(67)の想い出談が載っています。貴重な証言です。

 ──あまりに多くのものを失った人々に、こう言っているようにも見えるんです。「俺は耐えて生きてきた。みんなも負けないでがんばれ」と。1本だけ残った松がある……そんな一報に耳を疑ったのは、昨年3月23日でした。町内会長として、電気や水もない中での避難所運営に奔走していたときのこと。確かめようと、がれきに埋もれた道なき道を海岸へと向かいました。美しかった松原は見る影もありませんでした。根元からへし折られ、なぎ倒された松に呆然としながら、津波への恨みがこみ上げました。その中に1本、ひょろりと伸びた大きな松を見たとき、何ともいえない気持ちでした。高田松原には、明治、昭和期に3度の津波が襲来していますが、松は4度目の試練にも耐えたことになります。奇跡としか思えませんでした。「本当によく生きた」と心が震えました。──

 この高田松原は、江戸時代に防風林として植樹が始まったと言われています。以後、住民の手で植樹や管理が行われ、白砂青松の名勝として全国に名をはせるまでに成長しました。鈴木さんら地元の人々にとっては、幼いときから遠足や潮干狩り、海水浴で親しんだ思い出の場所だそうです。

 鈴木さんは語っています──「砂浜すらない状態から、私たちが松原を取り戻すまでは相当の努力がいる。戻ってきた松に、まちが再生する様子を見せてあげたいのです」。

(YM)

TOPKU-MAについて入会案内リンク会員向け

このサイトの内容の無断転載・複製を禁止します